一般財団法人 北海道難病連

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北海道難病連からのお知らせ21世紀の保健医療を考える

▼患者団体の相談事業
活動の中心となっているのが、患者、家族への相談事業だ。相談員は患者自身が務め、一対一のピアパートナーとして、苦しみが理解できるという立場を生かして相談を受ける。また、看護師、保健師、臨床心理士、ソーシャルワーカーなども相談に当たる。一般的に患者が病気について相談しようという場合、相談相手は医師、看護師など医療機関に属している人か、保健所などの行政機関しかない。しかし私たちは、行政でも医療機関でもなく、単なる患者仲間でもないという立場に立っている。長年の相談事業で蓄積した経験や知識を備えており、患者の相談に対して中立的に見ることができる。相談者と共に問題点を洗い出し、何に困っているのか、何が原因なのかを探る。医療技術の問題か、医療機関の問題なのか、あるいは制度の問題か、本人や家庭の問題か、などといったことを整理し、各分野の専門家と連携をとり、必要な情報を提供したり解決のための支援を行う。
  患者の悩みは病気、医療の問題だけではなく、家庭、仕事と、生活のあらゆる面に渡るが、特に深刻なのがお金に関する問題だ。病気になれば医療費がかかる一方、仕事を辞めなければならない場合が多く、収入は減る。長期慢性型の病気では、医療費の負担が非常に大きい。日本では高額の医療費を補助する制度はあるが、長期になると不利になる。ヨーロッパでは入院が長くなると薬代以外は無料になるなど、国によってその対応は違うものの、様々な支援の制度がある。日本にもこのような制度をつくらなくては、難病患者、長期療養が必要な患者には、生きにくい社会になってしまう。福祉の制度はあるが、病気で苦労している人を支援する体制になっていないため、現状では安心して医療を受けることができないのだ。
▼生きていく上で必要な援助が得られない
難病の患者は、大変な病気だと分かった時、そのこと自体にそれほどうろたえるわけではない。それよりも、これからの毎日をどう生きたらいいのか、と途方にくれてしまうのだ。しかし、それに対して医療の側からは適切な助言が得られない。医師は病気や治療についての説明はしても、患者の実際の生活に即して必要なアドバイスをすることは、ほとんどない。例えば車椅子を使うように指導しても、ではどこで手に入れるのか、どんな車椅子がいくらで買えるのか、という話はしてくれない。あるいは重い障害が生じた場合、身体障害者手帳や障害年金などの制度が利用できるが、どのような手続きが必要なのかまでは教えてくれない。
 患者は病気になる前と後では社会が全く変わってしまい、何の情報もなく、どこに相談したらいいのかも分からずに孤立してしまう。病気を苦にして自殺するということがあるが、今までと全く違った社会に、何の援助もなく、ポツンと一人きりで置かれてしまう孤独、不安に原因があるのではないか。
 だからこそ、私たちのような患者団体の行う相談の機構を日本の社会の中に育て、定着させる必要があると思う。私たちの相談所は、患者にとって入り口であるが、いろいろなところで断られたり、支援を受けられなかった人がやって来る最後の砦でもある。通常、患者団体が事務所を置き、専従の職員を抱えてやって行くことは難しい。多くの難病は患者数が数百から数千、最大でも5万人くらいで、その全員が会員になるわけでもなく、会費だけではとてもまかなえない。
 私たち北海道難病連が運営する事業の大部分は、自らの収益事業でまかなっている。補助金だけに頼って運営しているわけではないため、行政に対しても言うべき事は言うことができるという利点があるが、収益事業にはリスクもつきまとう。日本社会の医療のシステムの中に、医療を行う側と行政だけではなく、患者団体の存在を明確に位置づけ、また患者団体の実施する相談事業を組み入れて行くべきだと思う。
▼難病患者の訴えはすべての患者に共通する
私たちは相談事業の経験の蓄積の中から、患者に共通する思いをくみ上げ、医療機関などに改善を要望したり、道議会や国会に新たな制度づくりや制度の改正を働きかけている。最初は耳を傾けてくれなくても、長い間言い続けていると少しずつでも改善されるものが出てくる。だが、医療について、あるいは社会に対して私たち難病患者が望むことは決して特別のことではなく、すべての患者に共通するものではないだろうか。
 以前は障害を持っている人、難病患者は特殊な存在に見られていた。しかし、難病は特殊な病気かも知れないが、病気になること自体は特殊なことではない。病気になる、障害を持つ、歳を取る、死ぬ、などといったことは、人間にとって避けられない。重い病気を患わずに天寿を全うする人は、ごくわずかではないかと思う。
 近年、「患者中心の医療」と盛んに言われているが、言葉だけが飛び交っていて、決して実態は伴っていない。今こそ「本当に患者中心の医療とは何か」厳密に考え、声をあげていく時期ではないか。私たちは、患者団体としての経験を、より多くの人々に知ってもらうことによって、医療と患者の間にある問題点を改善する糸口を見つけられるのではないかと考えている。
▼病気になってよかった
病気が「重いか軽いか」ということは、病気そのものよりも、その人の考え方や置かれた状況によっても変わってくる。働いて家族の生活を支えている人が病気になると、病気の重さ以上に苦しいものがある。病状が軽くても、病気になったらすべて終わりだと思い込んでしまう人もいる。その一方で、前向きな人は、病人としての生活を受け入れる中で、新たな自分を発見することもできる。「病気になってよかった」という患者は、実は少なくはない。
 病気になって、あるいは重い障害を持って初めて、他の人への思いやりを持つことができたという人も多いのである。また、病気になっても悲観することばかりではなく、健康なときには分からなかったものを見つけることができる喜びもある。例えば街を歩いていて、春を感じるとき。病気になってから見る春は、以前とはまったく違って見える。多様な春を体験できたことで、何か得をしたような気持ちになる。だから私たちは、「病気が重くてかわいそう」などと、他者の目で一概に判断してほしくない。
 私たちが願っているのは、患者が病と共に生きていくために、必要な支援が得られる社会の実現である。その社会とは即ち、健康な人々も含め、多くの人が安心して生きられる本当の福祉社会ではないだろうか。

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